たれむんが否定される理由

仕方ないのでわかりやすく説明しましょう。
たれむんが言ってることは、正しいし間違っている、という点を理解していただきたい。
上記の点は前回証明した通りで、真偽の調べようがないというものだ。
これが理解できないなら下の文は読む価値もないし、論争の価値もないので、この件は終わりにしたい。


で、上記が理解できた上で、何故否定されるかについてを説明する。
問題は精神的な部分にある。
例えばこんな例を考えてみよう


一生懸命努力して、司法試験に受かった人がいたとする。
その人に対して、たれむんはこういったのだ。
「司法試験受かったのは運がよかったからだね」
毎日血のにじむような思いで努力して、やっと合格した人がこんなことをいわれたら
よっぽど聖人でもない限り、ムッとするだろう。
俺なら、もうこいつとかかわりたくないなと思うことだろう。


問題は内容の真偽ではなく、言っている本質だ。
確かに、司法試験を受ける環境に恵まれ、勉強に励むことができて運がよかった、と言うことは可能だろう。
が、それは可能なだけで、言っていいか、人として正しいかといわれれば別だ。


さらに腹立たしいのはこういう、たれむんの考えが問題だと思う。


○○が起こってしまうのは運が悪いからだ。
だから、それに対して努力なんかしても意味がない。


この点では、ある事象が起きる確率は努力によって上げることは可能だ。
だが、どんなに確率をあげても可能性がある限り○○が起こってしまうこともある。
それは、運が悪いということだ、その点は認める。
問題なのは、
それに対して、起こらないように最大限努力に勤めないという怠慢気質に尽きる。


これに対して、うちは癌になる確率が100%だから変えられないよとかいう意味不明な詭弁で論点をずらすから、さらに腹が立ってるわけだ。


俺は、努力によってさまざまなことは解決できると思うし、
そんなことが出来るのも運がよかったからだとも思う。
だが、運のせいにして、何も頑張らないような奴にはなりたくないと思う。
そこが、おそらく実力主義の気質が強い、俺と栗毛の共通見解ではないかと思う。


なお、こう思うのは勝手だろ?というたれむんの主張は確かにわかるが、
「それによって、ゆきたんとかが迷惑かけられてんだから、その点努力しろよ」
という、栗毛のフォローの通り、他人に迷惑をかけない上で勝手にそう思っていてくれてもいいと思う。