数学の重要性
最近彼女とよく口論になることがあります。
口喧嘩は昔から大好きなので、彼女と言わず友達や親と絶えず口論を繰り広げ、
高校の時、ディベート大会に出るくらい論争は大好きでした。
そういうわけで、自分は口論すること自体珍しいことではないし、
口論することこそが、コミュニケーションの確立の方法のひとつとまで思っているくらいな自分が、
最近どうもうまく説き伏せられない内容にぶちあたります。
それは何か?
「数学は何故義務教育において必要であるか?」
という問いに対しての答えです。
書こうと思ったけど、明日一限からなので寝ます(ぁ
数学の必要不必要に関しては誰しも一度は考えたことがあるはずです。
四則計算程度は、生きる上で必要不可欠の類ではありますが、これは数学ではなく算数であります。
最も、現代社会においてコンピュータを扱えない人間は底辺に扱われてしまうという傾向があるので、
プログラム言語とまではいかなくとも、表計算を扱える程度の数学の知識は現実において必要にはなってきています。
しかし、これはあくまでも傾向であって、
「数学を実生活で全く必要としない人たちがいる」
という事実にかわりはありません。
例えば家庭業を営む主婦などがその代表例ですね。
このような人たちが口をそろえて言うのはこういうことです。
「今まで実生活において数学を使ったことはない」
即ち、中学高校と数学を学んだ時間が全くの無駄であるということにほかならない例です。
このような疑問に、わたしは今までこう回答してきました。
「数学というのは数を学ぶことで、生き方を学ぶ学問である」
公式や定理を用いて、ある結論を作り出す。
この過程は、今までの経験から何かの結論を導き出して行動すること、即ち人生を生きる上での知恵になるというわけです。
また、この意見を強めるためにさらに言うことがあります。
「人類の歴史が始まってから、数学という学問が軽視された時代は一度もない」
いくつかの学問は、とある時代で持て囃されまた捨てられていったものもありますが、
数学という学問は常に必要不可欠のものでありました。
これは、いかなる時代においても人徳を豊かにする最も優れた学問として認められていたということを裏付ける例です。
しかし、数学を全く使わない人にとって、この意見というのは受け入れがたいものです。
おそらくは、「ふぅんそうなんだ」といってわかったふりをしつつ、本人は全く納得がいかない答えでしょう。
彼女にこういわれました、
「生き方を学ぶなら道徳や国語を学べばいいんじゃない?数学が必要な人が大勢いるのはわかるけど、数学は誰しも必要というわけではないと思う」と。
確かに生き方そのものを学ぶのであれば、道徳や国語という最も具現化されたツールがあるわけです。
それらの学問で、多種多様な生き方を学び自分があった道を選択するという、
単純かつ明快な方法の方がわかりやすいわけです。
銀さんがコメントしてくださった理論的に考える力も、
理論的に考える力がつくようなカリキュラムを道徳ないし国語で組めばいいわけです。
それでもなお、全人類にとってなお数学が必要であるかと言い切れるかどうか。
これについて、自分は悩んだのです。
しかし、三平方の定理を見てあることに気がついたのです。
道徳や国語で生き方を学ぶことができる。しかしそれでもなお数学で学ぶということは、
「数学は無からの創造を築き上げるただ唯一の学問である」
というこたえです。
ピュタゴラスが導き出した有名な三平方の定理は様々な証明法があります。
道徳や国語では、この三平方の定理を学ぶことはできても生み出すことはできません。
つまり道徳や国語で学べる生き方というのは、あくまでも経験則により導き出されるものであり、
数学で学ぶ生き方というのは、経験則ではない無からの創造の手口であるということなのです。
もし、誰しもが体験したことのない、未知の出来事に遭遇したとき、
道徳や国語における経験則は何の役にも立ちません。
その時初めて、無からの創造を生み出す力*数学*が必要になるわけです。
しかし、ひとつの疑問にいきつくことになります。
「果たして日本の数学教育は無からの創造を生み出す手助けになっているのだろうか?」
答えは否であるとしかいいようがありません。
数学で学ぶことといえば、退屈な定理や公式を覚えさせられ、それを使って問題を解くことに躍起になっています。
このような状況で、どうやって新たなものを生み出す力を身につけることができるでしょうか。
今の日本の数学教育を見直すことがない限り、先のような悩める人たちを作り出すことはやむをえないでしょう。
こういった教育は見直され、新たに教育として取り入れている小学校中学校もあると聞きますが、
残念ながらそういった教育をしているところは少ないですし、何しろお受験に対抗できません。
このような状況を見て、これから自分が生徒たちにどう数学を教えていくか。
それが今後の自分にとってのキーワードになりそうです。