答えを見ることが悪いことだと思っている人が多い件について

前ふりもなく持論を展開させていただくと、
「答えを見ることが独学の真髄である」
と俺は思っている。


事の発端は、昨日大学の友人に簿記を教えていた時だった。
答え合わせをしようと思って答えは(ないの)?と聞いたところ、
あぁ、答えはすぐ見ちゃいそうになるから持たないことにしてる。
というのだ。
まぁ、そいつはお世辞にも勉強が出来る奴ではない。


中学生を見ても、
わからない問題があると白紙のまま何もしない
というのは、どちらかというと偏差値(50以下)が低い子に多いタイプ。
せめて答えを埋める
という子は、中堅クラスの偏差値(50〜60弱)に多いタイプだ。


勉強方は多種多様でいいと思うので、我流で高い水準を保たれているのなら全く問題ない。
が、低水準の人が頑なに「答えを見ない」ということを守るのはちょっともったいないと思う。


ちょっと考えてみてほしい。
1分考えて全く検討もつかない問題を1時間考え抜いた結果答えを出せた。
ということがそうあるだろうか?
因みに自分も数学のユニークな問題を数時間どころか数日も考え抜いて答えを出したこともあるが、
基本的な学習において、何時間も使って考えるということは殆ど無駄である
と自分は思っている。
確かに考察力等向上するかもしれないが、テストではそんな考察力までは測ってくれない。
それならその1時間の間に1問でも多く問題を解いたほうが圧倒的に効率がいい。


自分は1分で全く検討もつかなかったらすぐに答えを見るようにしている。
そして、その答えを覚えるようにきちんとノートに書く。
その答えを書きながら反芻して、きちんと理解できたならそれでいいのだ。
どうしても理解できないのならば、答えを書いて丸ごと覚えてしまうこともいいだろう。
そのうち理解できるかもしれないし、誰かに聞いてもいい。




さて、本題は「何故多いか?」という点である。
というかそもそも答えを見ることが悪いと思うことは何故なのだろうか?
確かに、小学校のときに答えを写す=なまけものというイメージがあったのは確かだ。
それは宿題が面倒だから全部丸写ししようということであるからだ。


このあたりで答えが見えた気がする。
答えを見ることがダメだというのは、
問題を解くという手段が目的になっていることではないだろうか?
つまり、答えを見ると問題を解くという手段と同時に目的を達成してしまうのだ。
だから、不正により目的を達成してはいけないという気持ちが働くのかもしれない。
おそらく問題を解くという目的を達成して満足していることが、
成績の低下の一つの要因になっているのだろう。
勉強というのは、
問題を解くという手段を用いて、その事柄を理解し定着するという目的
であるべきなのだ。


というわけで「答えを見る学習法」というものを紹介してみることにする。
もし、資格等の筆記試験での学習にお困りの人がいれば参考にしてみてほしい。
因みに、完全に我流なので多少アレンジを加えないとダメかもしれない。

  • テキストとワークブックを使った学習法

おもむろにテキストの例題を見る(例題の前の薀蓄は読まない)

その例題からパターンを読み取り、意味を大体理解する

問題集等の問題に挑戦してみる



(解けた場合)
念のため薀蓄と解説に軽く目を通す


(解けなかった場合)
答えを見て、何故その答えになったのか考える

答えを見ないで、再度挑戦してみる

解けたら、解説や薀蓄を読みきちんと理解する
解けなかったら、解説や薀蓄を読み理解し、答えを覚えてしまう

違う類題を探してみて、再挑戦してみる


という具合だ。
まぁ、あくまでも一例に、これが全てではない。


最終的な結論。


「答えを見てきちんと理解し定着に励むことが独学をする上で重要な事項の一つである」